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Boys & girls, be KASHICO. It's cool. KASHICO means a person who is wise, clever, intelligent and so on. This site makes you KASHICO. | |||||||||
By Kano Origuchi | |||||||||
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中学数学講座2020/9〜 中1からできる入試講座 |
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学力お助け.COM 目次(最新順) 107 次回 第2章 106 脳のリアクター 7/29 new 105 知識と技能 7/16 new 104 言葉とワーキングメモリとOSを重要視する理由 103 ワーキングメモリと脳のOS 102 言葉がないということは? 101 まえがき 子どもの能力を知 る 001 大まかな目次と予定 000 はじめに (2020/06/01) |
000 | はじめに トップページにあるように中学数学が苦手な生徒のためのサイトです。だからといって基本問題だけを扱っているわけではありません。目指すところは公立高の入試なら満点、私立の難関校で合格点あたりです。 なぜ成績が低位のままなのか、なぜ平均点あたりをうろついているのか、なぜ友達はすらすらと問題が解けるのか。そういった理由が分からないと、ただ問題を解くだけでは身につけるべき知識・技術・能力が何なのか分かりません。 このサイトのキーワード「かしこ」は、上記の目的を達成するためだけではありません「かしこ」くなれば、昨日の自分とは別人の自分が本を読み、問題を解きます。今まで教科書を1回読んだときの理解度が50%だったのが60%になれば、時間に余裕ができます。それを読書なり、スポーツなどに回せば、もちろん休んでもいいのです。ちょっと豊かな気分になりませんか。 このサイトを立ち上げるにあたって、準備をしては挫折の繰り返しでした。範囲を広げすぎて収拾がつかなくなるのです。だから、このサイトの目的を次のように絞りました。 「中学数学を賢くなるための道具として利用する。賢くなれば、どの教科にも、勉強以外にもよい影響を与えるのを目的にする」 このサイトのメインストリームは「SideA」と「中学数学講座」です。 「SideA」 なるべく早く「かしこ」くなるために要点だけを書きます。理解しにくい、不十分なところは、ブログBで補遺・コラム等でフォローします。 Aで書くこと 第一章 サイトの管理人は子どもたちをどう捉えているか(能力、実態…) 第二章 このサイトで目指す賢さ 第三章 実践 「中学数学講座」 管理人が入試問題を解いていくときに、そんなに多くの知識を使っているわけではありませ ん。動員する知識・技能は、6年間の算数と中学数学の教科書にあるぐらいなものです。要は使い方なのです。中学1年生からの単元に沿って、YouTubeで始める予定です。 数学が苦手な生徒の多くは算数の知識・技能が使いこなせていません。算数も同じように講座を持てばいいのですが、一人でやるには時間がありません。 そこで、下記に小学校算数がどこまで理解できているか、無料のダウンロード教材をアップしてありますので、確かめてください。右の欄から印刷してください。 百ます問題 [基本編] 試用版(無料):ほとんどが算数の基本知識・技能を1回使えば解ける問題です。欠落した知識をチェックしてください。 百ます問題 [組合せ編] 試用版(無料):基本編の知識・技能を2つ以上組み合わせてあります。少しだけ賢さが必要です。 新百ます計算 試用版(無料):表形式にすると割り算が作れない、等の不便さをなくしてあります。 注意 画面を見て解くのと、紙上で筆記具を使って解くのとは違います。できれば印刷してください。 解説に使用上の注意があるので読んでください。 ChromeでPDFを開くと文字化けするときは、下記プラグインを入れてください。 PDF ViewerをChrome ウェブストアから入れる https://chrome.google.com/webstore/detail/pdf-viewer/oemmndcbldboiebfnladdacbdfmadadm Adobe Readerプラグインがインストールされていると、自動的に有効になります 問題の完全版は、ストアーズ(noricom010.stores.jp)でダウンロード販売をしています。 では、スタートしましょう。 しかし、全員が最終目標へ到達できるか分かりません。でも、挫折さえしなければ、必ず賢くなっていきます。その続きは高校(大学)、社会人になってやっていけばいいのです。人それぞれに理解のスピードは違いますし、大器晩成タイプかもしれません。ただし、何もしない人には、そういうことは訪れません。 もし、今これを読んでいるあなたが中学生なら、上から目線のように感じると思います。勉強が苦手な子には、周りのサポートや理解が絶対必要なのです。そのためにサポートする大人に向けて書いているように感じるかもしれません。このサイトと君たち中学生を結ぶラインの途中に、大人(応援団として)を配置していると考えてください。 |
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001 | 大まかな目次(予定)ここからは常体で書きます。 まず最初に第1章1節で子どもたちの実態を持ってきた。これが分かっていないと、身につける能力の優先順位がつけられないからである。以下にあるのは大まかな目次 で、前後するかもしれないのでご了承願いたい。 第1章 子供たちの能力を知る。(実態) 1.言葉 2.ワーキングメモリーと脳のOS 3.知識・技能 4.リアクターとしての脳、その他 第2章 サイトで目指す賢さ 1.「かしこ」は限りない。 2.中学で目指す「賢さ」を限定する 3.賢くなるということ 4.なぜ勉強するか 5.何を学ぶか(どんな能力手に入れるか) 第3章 実践 1.問題を勉強するのではない、問題で勉強するのである。(指導者は、教科書を教えるのではない、教科書で教えるのである) 2.勉強方法 3.問題の解き方以外に何を身につけるのか:死ぬまで使えるスタイル 4.各単元(個別問題)はYouTubeで:1年生から使える入試演習 YouTubeでの勉強方方法: |
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101 |
前書き 学校の懇談で「やれば、できるのに」といわれる生徒は結構いる、私もそう言っていた。しかし、それを100%真に受けてはいけない。そう言われて(僕は、私は、本気で勉強すれば、成績なんてすぐにあがる)と思う。 しかし、それは自分を安心させるだけの言葉だと思った方がいい。 本気で勉強するか、必要に迫られて勉強するようになったとする。しかし、誰でも「やれば」できるようにはならない。だが「やれば」克服しなければならない壁がいろいろ見えてくる。 高さが1mの壁もあれば10mの壁もある。その壁が目の前にある生徒、もう少し先に見えている生徒もいる。 やる気になって、成績が順調に伸びている間は、今自分自身が持っている能力で何とかやりくりできている。しかし、いつかは壁にあたる。伸び悩んでいるというのは、壁と格闘している時なのだ。壁にはいろいろな種類がある。それは後述する。 壁を乗り越えるというのは、脳の発酵が進んだ結果だ。大豆が発酵して味噌や納豆になったり、糖がお酒になるように、脳内で発酵が進んで、一段賢くなったあなたができあがる。あせってはいけない。1週間で発酵するものもあるし、鮒鮨のように1年以上かかるものもあるから。 あせってしまうと、間に合わせの勉強、例えば壁を乗り越えずに点数だけ上げる勉強とか、表面的な解き方だけは覚えて満足してしまうことになる。また、なかなか結果があらわれずに、あきらめてしまうことになりかねない。 自分の能力がどれぐらいなのかは、自分では分からない。それでいい。ただ、次のことだけは知ってほしい。 君の実力は「今が100%出し切っている」それ以上でも以下でもない。 潜在能力があると思ってはならない。もし、そういうものがあるとしても簡単に花が開くものではない。君にあるのはいろいろな能力の前段階にある卵みたいなものがあって、それなりの修練をして、始めて手に入るものである。ないときは外から持ってくる。 その二つが両輪となって賢くなっていく。ただし、外から持ってくるものは君が賢くならない限り、手に入れたとしても宝の持ち腐れになる。 第1章では、サイトの管理人が、君たちの能力をどう見ているのかを書いていく。そうすれば自分自分にとって何が必要かがわかるだろう。 |
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102 | 言葉がないということは? 初めての生徒を見るとき、どこを観察するかというと、知識・技能がどれだけあるかを見ているわけではない。無かったら注入すればよいだけで、問題はどう注入するかだ。 離乳食に切り替えた子にステーキを与えても消化できるわけがない。 先ずは、考える道具として「言葉」を使えているか、行動の根拠(何をしたか、何をするか)として「言葉」があるのかを見る。 考えるための「言葉」がうまく使えない、慣れていない、…という事態が随所に見られるのだ。その中でひとつだけ例をあげる。 言葉がないと、数の世界が広がらない。 ア:6mで3sの鉄の棒がある。この鉄の棒1sは何mか。 イ:2時間で6q歩く人は、1時間に(時速)何q歩くか。 上のような問題は式に頼らなくても答えが分かる。算数が苦手な子に式を書かせると一瞬迷うが、自分の答えから何とか式を導き出す。(ということは、式から答えを導き出すことが苦手)では、下の問題はどうか。 ウ:1.5mの鉄の棒を量ったら、1.2sだった。この鉄の棒1mでは何sか。 また、1sの鉄の棒は何mになるか。 ア、イ、ウの問題はすべて単位あたり(1mあたり、1時間あたり…)の問題だ。だからアができれば、小数の計算になるがウもできるだろうと普通は考える。私も当初そういう教え方をしていたが、何かおかしい。生徒は私の説明を聞いてうなずく。正しいことをいっているからうなずくしかないのだが、納得していないのだ。あるとき、次の本を読んだ。抜粋してあるが読んでほしい。 「数学する身体」(森田真生著:新潮社)人工物としての「数」より 「人間は少数の物については、その個数を瞬時に把握する能力をもっている。(中略)近年の認知心理科学の研究によると、三個以下の物の個数を把握するときは、それ以上の個数を把握するときとは違う、固有のメカニズムが働いているらしい。(中略)ところが、四個あたりを境にして、この能力は消えていく」 つまり、わかりやすい小さな整数で例題を出して、それができたとしても、小さな整数の範囲でしか理解していないのではないか、と考えられる。感覚で出した答えに対して、その根拠がいえない、式にできない。アとウは全く別の理解系統なのだ。アとウに橋を架けて、同じ問題だと認識するには「言葉」という道具が必要だ。それは言葉の宇宙船に乗って、ワープするほどの飛躍が頭の中で起こることである。 学習したことが再現できない。 ある講演:バブル経済がはじけ、不況からいつ立ち直るだろうとみんなが思っていたとき、私はまだ高校教諭だった。そのころ兵庫教育大学(先生が行く大学)の先生の講演を聴く機会があった。 そのときの資料はなくなったが、一つだけ記憶に残っていることがある。それは「中学校で先生の授業が理解できて家での自習ができる生徒は20%、学校で分かったつもりになっていたが、家では何を勉強したのかよく分からない生徒が60%、残りの20%が学校でも、家でも分かっていない」そういう内容の講演であった。 当時生徒が授業内容を分かっている割合が、7・5・3といわれていたから、感覚として納得できるものであった。(7・5・3とは、授業の内容が分かっているのが小学校で7割、中学校で5割、高等学校で3割といわれていた) 後に教職を辞して、現在小さな私塾を開いているが、実際に一度の授業で理解できるのが20%という数字は妥当なところだと思う。 では、何が起こっているのかといえば、 前述の授業が分からない20%の生徒は、多分、数学などの授業はネイティブスピーカーが喋る英語のようなものを聞いているのだろう。言葉が後ろへどんどん飛んでいく。もちろん理解できるはずもなく、授業に興味を無くす。 なぜ言葉が飛ぶかといえば、授業の中で交わされる用語のうち、2割以上(感覚として)分からない用語があると、全く理解できないと思っている。あなたが難解な哲学書を読むのを想像すれば分かるだろう。(だから、中学英語の本文は10行のうち新しい構文は2行ぐらいだ。それでは非効率だと、友人が新しい構文だけで授業をしたら、全くおもしろくなかったそうだ) では、学校の授業では分かってたのが、家に帰ると何をしたかはっきりとわからない60%の生徒はどうか? 学校での授業は先生がカーナビゲーションの役を引き受けてくれる。だから何の障害もなく目的地まで一直線に到着する。では、ナビを切ってもう一度行けといわれればスムーズにいけるか? 途中の景色も覚えていない、何番目の信号で左折したか…こんなはずじゃなかったと思う。 なぜ、こんなことが起こるのか。多分、授業の流れの中で何となく分かったつもりが、「このときは何をする」「これこれだから、こうする」という言葉を介していないからだと考えている。記憶力が悪いのではない。記憶するのに言葉が必要なのにうまく使えていないのだ。 1999年頃に「分数ができない大学生」という本が話題になり学力論争が盛んになって、ゆとり教育が学力低下の原因のひとつにされてしまったが、果たしてそうなのか。当時の指導要領の内容が厳選されたが、同時に土曜の休業が完全に実施されていたから、ゆとり教育と呼べるものではなかった。 その論争が原因となったのかは分からないが、2008年の学習指導要領で指導教科の内容が増えた。 その結果何が起こったかというと、学校の授業は算数のどの単元もさらっと流す、そうでないと年度内に単元が終わらない。塾に来ている小学生に学校での進度をよく訊く。先生たちが単元の多さに追いまくられている姿が想像できる。 履修する範囲が多すぎて、復習(宿題ではない)したり、より深く理解する時間が取れていない、何となく理解したものが言葉の形で定着させる練習が足りないのではないか。当時はこれで大丈夫かと心配していたが、何も思わなくなった今の自分に不安を覚える。 勉強する目的の1つは、個人に秘めている能力を引き出すことだ。 『言葉を覚え、それを運用できる』さらに言葉の精度を高め、自由自在に操るようになれば、思考するための言葉、行動に移すための言葉、想像するための言葉、発想するための言葉が身につくと思うのだが。 |
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103 | ワーキングメモリと脳のOS ワーキングメモリ(作業記憶)は脳の海馬というところが関係している(以前は前頭皮質にあるといわれてたらしい)が、詳しいことは省略する。私たちが知りたいのは、賢さにどう関係していて、どう鍛えればよいかだ。ネットを検索すれば、鍛える方法は山ほどヒットする。しかし、それだけを取り出して鍛えても意味がない。教科の勉強を通して鍛えるのがよいと思う。方法は第3章で取り扱う。 ワーキングメモリを台所の調理台にたとえて説明する。調理台が狭いと、器材や材料を置くスペースが少ないので、こみ入った料理や一度に何種類ものおかずが作れない。調理台は大きいほど便利だし使い勝手がある。器材や材料を、ものを考えるときの知識や情報に置き換えれば分かりやすい。ワーキングメモリさえ鍛えれば賢くなり、全てが解決すると思わせるような本もあるが、そこまで言い切っていいのか分からない。 (1)ワーキングメモリは練習や努力によって大きくなる。 ワーキングメモリは個人差がある。小さいときから「あの子は賢いね」といわれている子は、たぶん、このメモリが大きいのだと思う。この部分は努力によって大きくなるのが分かっているから心配することはない。 小さいときは神童だった子が「二十歳すぎればただの人」になるのは、「自分は賢いのだ」とうぬぼれている間に、周りの人がメモリを増やしたからかもしれない。 ワーキングメモリが努力で大きくなるという根拠は、ロンドンのタクシー運転手の脳を調べた結果平均より海馬が大きかったからだ。タクシーの免許を取るには市街の隅々まで地図を暗記しなければならない、それで脳細胞には増える部分もあると分かった。 1年ほど塾を休んで、また通い始める生徒が時々いる、高校生になってから教えてほしいところを聞きに来たりする子もいる。こちらは以前の生徒のイメージで接するのだが、どの子も成長しているのだ。かみ砕いてかみ砕いて説明していた子が、かみ砕く回数を減らしても理解してくれる。 (2)ワーキングメモリが小さいと、込み入った問題や基本を組み合わせて作られた問題が苦手だと思われる ワーキングメモリは短い時間記憶をとどめておく場所だ。 例えば、速さに関する方程式の問題を解くとき、それに関する知識や技能が格納されている引き出しから、必要なものを取り出してメモリの上に並べ、もちろん問題から得られる情報もだ。 私の推論だが、このメモリが小さい例を2,3あげておく。 (例)問題を読んでいくうちに、最初の条件を忘れてしまう。 ある図形の問題で(関西言葉でのやりとりで、御容赦) 先生「ここが20度やろ。せやから、ここは二等辺三角形と違うか?」 生徒「えっ、何でここが20度なん?」 先生「問題の最初に『∠A=∠Eのとき…』と書いてあるやろ」 生徒「あぁ、そうやった」 (例)知っているのに使えない。(全てに注意が回らない) 英文の語順を問う問題 例題 次の日本文を下記の単語から並べ替えなさい。 日本文 あなたはテニスをしますか。 (you tennis do play )? 生徒の解答 do you play tennis? 先生「文章の最初は…」 生徒「あっ、知ってるねん。最後まで言わんといて、知ってるんやから」 (といいながら、dを大文字に直す) 単語を並べ替えることと、文頭は大文字にするということが同時進行できない。 (例)問題が難しくなるにつれて、使われる基本知識・技能が多くなり、それらの組合せが複雑になってくる。それをどう組合せ、どの順に使うかを考えるには、ワーキングメモリのような場所が要る。 そういう問題が出題されたら、こんがらかった糸をほぐす、もう一度反芻する、分からないまま頭の中で置いておく… そういった方法を知らないと、入り口から拒絶反応を起こす。問題文が長いと素通りしてしまうか、読み通すことなく、つまみ食いするので肝心なことが抜け落ちる。 (3)創造力やアイデアを生み出す場所。 発明やアイデアは、既存の知識や技術の組み合わせだ。全くのゼロからの創造はない。記憶は定かではないが音楽家の坂本龍一は、自分では新しい音楽を作ってきたと思っていたが、80%は既存のものが土台になっているというようなことを、どこかで読んだことがある。本田宗一郎は、小さなエンジンと燃料タンクがわりに湯たんぽを自転車に取り付けた。それがいまやジェット機まで作るホンダのスタートでだった。 全く畑違いのものが出会う場としてワーキングメモリがあって、反応釜として、いろいろなものが化学反応を繰り返しながら新しいものが形作られるのだろうと考えている。 このサイトでは、ある問題に対して、自分の頭の中に持っている知識・技能の引き出しの中から、必要な引き出しが開いて必要なものをそろえて、ワーキングメモリに置く。そして問題を解く。そこまでを範囲として創造力の基礎訓練にしたい。 Nバック課題(ネットで調べれば練習問題がある。任天堂の鬼トレみたいなもの)がワーキングメモリの強化に効果があるようだが、あまりおもしろくない。そういうものに時間を割くよりは普段の勉強を工夫すればよいので、第3章で述べることにする。 (4)脳が機嫌良く働いてくれるには 問題を読む、考える、自分が持っている知識・技能と照らし合わし、そこから解答に導く。それらの一連の作業はどこかが指令しないと前に進まない。脳のどこかにあるのだろうが、それを確かめる場ではない。 脳が働くシステムをOS(オペレーティングシステム)にたとえてみる。OSとはコンピュータを効率よく動作させるソフトで、ウィンドウズやmacOS、アンドロイドなどがこれにあたる。 脳にもOSがあるはずだ。必要な知識や技能を、どの順番に、どのように使えばよいのか全体の流れを考えたり、手続き記憶といって意識しなくてもできること、自転車に乗ったり、ピアノを弾いたり、自然と挨拶ができるのはOSがあるからだ。 そういった行動は「手続き記憶」といって記憶の面からアプローチしたり、ワーキングメモリがこの機能を果たしていると書いてある本もあるが、そんな単純なものではないと考えている。 哲学者の内山節は「世の中が便利になった分、同時に能力をなくす」といっている。その能力が後になって必要となったときに訓練などで取り返せるのならかまわない。 例えば、古くはナイフで鉛筆も削れない子供が増えたと話題になった。しかし、鉛筆削り機によってナイフを使わなくなっただけのことで、練習すればできるようになる。 ただ、しかるべきときに、手に入れておいた方がよい能力もあるのではないかと思う。 子どもは成長するにつれて、取り扱う情報量も増える。増えたままだと、情報が渋滞して身動きがとれなくなる。だからOSの機能もバージョンアップさせなければならない。 スマホなどのデジタル機器が生活を便利にする。それを否定するものではない。分かってほしいのはそれらの機器が使えるようになったからといって、賢くなったわけではない。賢くならなければ、情報を操作できない。ただ目の前を情報が通り過ぎているだけなのだ。そういう使い方なら、スマホは2,3歳でも使えるような簡単な機器なのだ。 便利な機器は生活を豊かにしてくれるだろう、心しておかなければならないのは、年少の時にそういった便利な機器になじみすぎると、人間の育つべき時期に育つべき能力を経験しないで大人(身体)になってしまうかもしれない。 |
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104 | 言葉とワーキングメモリとOSを重要視する理由 小学生から中学生、さらに社会人へと成長するにつれて、扱う情報量も増える。頭もそれなりに脱皮を繰り返して成長しないと、ついていけなくなる。 乗り物に例えると、小学生が徒歩なら中学生は自転車に乗り換える。そうして巡航速度と容量をあげていく。その先にバイクや自動車と続くが、成長速度は人それぞれで、早く自動車に乗らねばと焦ってしまうと事故を起こす。しかし、自転車にうまく乗れないからといって、次に進まないというわけにはいかない。自動車の運転と並行して徒歩や自転車の操作能力を上げる。 言葉やワーキングメモリを無視して「勉強しなさい」「なぜ、こんなことが分からないの!」「…」といわれても、勉強が苦手な子にとってはつらい。言葉で考え、行動する癖がついていない(何となくやっている)と、その場しのぎ、勉強をしたふり、でたらめにやることになる。 いま、コロナの厄災でネット授業がおこなわれ始めたが、環境の整備以外に考えることがある。 生徒が新しい単元を理解しにくいとき、その単元の授業の巧拙より、新しい単元を理解するための以前の知識のどれかが欠けていることのほうが多い。教室での授業なら机間巡視で補えるだろうが、生徒それぞれの欠けている知識が異なっているから、そこをどう工夫するかだ。さらに勉強が苦手生徒は質問をしない。何が分からないのかが分からないからである。 私は小さな私塾を主宰している。授業だけでなく、一対一で指導することがメインになる。言葉の運用が苦手な子には何度も言葉のシャワーを浴びせ続け、短期記憶(ワーキングメモリが担っている)が苦手な子には理解に必要な知識をメモにして、ワーキングメモリを側面から援助する。五里霧中の生徒には、半歩先に見える明かりを用意してあげねばならない。ネットでおこなう授業では、そのようなことをサポートできるかが心配である。 ある問題を解けるようになるというのは、解答そのものが目的ではなくて、解答に至る過程の間にどんな能力を身につけるかということになる。初期段階において「言葉」「ワーキングメモリ」「OS]の鍛錬が最重要だと考えるのは、成績が中の上ぐらいの生徒であっても、まだまだ前段落のようなことを繰り返しているからである。 では、成績のよい子は言葉の運用ができて、ワーキングメモリが大きくて、OSが脳を存分に働かせているか、というと道半ばである。その年齢では確かに上位にいるかもしれないが、言葉の精度を磨き、思考のための語彙、情報を操作する作業領域を増やさねばならない。 心してほしいのは、言葉の運用、ワーキングメモリ、OSの向上は、個人の努力によるところが大きい。教える側ができることは生徒の側面からの支援で、受け身の学習ではあまり伸びないと考えている。 PS:自動車の先の乗り物は、容量を重視してタンカーや客船、またはスピード重視の飛行機と自分にあった乗り物に乗り換えればよい。たまにすごいブレイクスルーを起こすか、ギフティッドみたいにロケットでワープしている人もいるだろうが、私の想像力の範囲外だから分からない。 さらに付け加えるなら、自動車ぐらいになれば成熟するという方向もある。 |
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105 | 知識と技能 ここでいう知識・技能とは、授業を理解する、教科書を読んで理解する、問題を解くための能力のことだ。新しい単元だけが独立しているわけではない。それを理解する素養が必要だ。教科書や授業の内容がよく分からないのは、新しい単元以前に欠けているものや、よく分かっていないものがあるからだ。それらは個人によって違う。 新しく学ぶ単元はすべてが未知のものではない。初めて学ぶ知識や技能はせいぜい20%分ぐらいしかない。残りの80%は、新しい単元理解するための必要条件だ。その残りの80%を、新しく学ぶ単元と並行して少しずつ自分のものにしていくのである。読んでいる本の内容が、先生の授業が一度で100%理解できればいいが、そうはいかない。欠けているものを補いながら、一回目が50%の理解なら、60%70%とにあげるようにすればよい。 では欠けているものをどうやって見つけ出すのか。敗着をみるのである。 敗着とは囲碁の用語である。対局を振り返ってどの時点で負けにつながった手を打ったかを研究して次に活かすのである。子どもが新しい単元について、何らかの作業をしたり、問題を解くとき、どの時点で作業が止まったか、思考停止になったか、その時点をその子の敗着と考える。それはその問題に直接関係しているものだけではない。 敗着となった欠けているものを,その子に補充する。また敗着があれば繰り返し、最後まで到達できれば一段落となる。 では、子どもたちに欠けているものは何なのか。もちろん、知識や技能などを忘れている、間違っているのを指摘して指導するのが数として一番多い。しかし、それだけでは不十分である。 実際には、その場で即興的にこれとこれを身につけさせる、そういうことを繰り返しているのであるが、具体的には次のようなものである。ただし、言葉の運用とワーキングメモリは当然見ているものとする。 (1)忘れている、間違っている、使い方が変な知識・技能を直す。 一番多いのがこれである。公式を忘れる。単位が分からない。用語が分からない。いつの間にか違う知識に変質している。自分で公式などを発明する。 数学では小学校3年ぐらいで学ぶ単位ぐらいから視野に入れて子どもたちを見ていく。 (2)知識を使えない、使いこなせない。知っているだけ。 この問題にはこの解き方。あの問題には… というようにある問題に対して解ける知識・技術はあるが、それを別の問題に使えない。なぜ使えないかというと、それを使って解いた答えが正しいのか確信が持てないから怖くて使えない。知識が閉じて広がりがないのである。 小学生の計算を例にとろう。4年生で分配法則を学ぶ。例えば次のような式だ。 □×(△−◯)=□×△−□×◯ 数字に置き換えた例をあげる 36×(25−15)=36×25−36×15 この仕組みを使って4年生は下のような問題を解く。 (問)36×25−36×15を工夫して計算しなさい。 36×25−36×15=36×(25−15)=36×10=360 この時点では、ほとんどの4年生が上のようにして、計算する。それが6年生になって、下のような問題が出たとき、上の分配法則を使う子と使わない子に分かれる。 (問)半径6pの円の中に半径4pの円を描いた。外側のドーナツ状の部分の面積を求めよ。 普通右のような式をつくる。6×6×3.14―4×4×3.14 そして何も言わない限り、下のように計算する子が多い。 6×6×3.14―4×4×3.14=113.04―50.24=62.8 次のように分配法則を使えば、筆算なしですぐに答えが出る。しかし、教えたとしても、それを道具としてスタンバイさせておける子どもはすくないから、多分上のような計算に戻ってしまう可能性の方が高い。 (36−16)×3.14=20×3.14=62.8 このような知識や技能は全体からみれば、スキマ産業やニッチみたいな位置にあるかもしれないが、いつでも使える子どもは、エッジ(注1)としてこのような道具を結構持っているのである。 (注1) エッジにつては独立して述べたいので、「ちょっと有利」という意味と思ってほしい。 (3)シェーマが使えるか。 シェーマとは、理解を手助けする道具のようなものと考えてもらってよい。小学校で繰り上がりを理解するのに、タイルを使ったりする。 先生や指導する人は理解しやすいように、数直線や表を使って子どもに説明する。これらもシェーマだ。数直線の書き方という単元はないから、体系立てて教えることはない。教えられなくても数直線を書いて考える子は「これは使える道具だ」と直観が働いて使える道具として自分のものにする。それは強力なエッジにとして働く。書き慣れてくれば、表やグラフも書いてみることに抵抗を覚えない。それを基に考えを組み立てていく。 数直線や表の書き方を教えるのはそんなに難しいことではないが「気軽に書いてみる」ことを習慣づけることの方がはるかに難しい。理解しにくいもの、難解なものをシェーマを使って下準備の後に解いてみる、それらは一連のものであるのに、子どもたちは教科書や問題集の解き方を覚えて解くものだと思っている。 中学生に関数を教えるのは結構時間がかかる。方程式で文章題を解くには覚える知識が関数よりもはるかに多い。しかし、子どもたちは関数の方が取っつきにくい。なぜなら、方程式の文章題は数を代金や速さや人数といった具体的なものに置き換えて解いていくのに、関数では著しく抽象化されたものばかりだからである。 y=ax+b、切片、傾き、変化の割合、座標… それらの意味をはっきりしないままに、解き方だけを覚えている。 定期テストぐらいなら対応できるが、解き方だけではすぐに忘れてしまう。それを忘れないようにするために大量の宿題を出すのがいいと思っている人もいる。ブラックな職場の中学生版だ。 一次関数のグラフは、一次関数を理解するためのシェーマだと考えることもできる。グラフとともに解き方を追っていけばその式の意味も分かるし、一次関数の景色が見えてくる。そうなれば、勉強時間も少なくてすむ。 さて、次の問題を君なら(あなたの子どもなら)どのように解いていくのか。 (問1)数直線を描けば、小学校3年程度の問題 (問2)中2で一次関数を習った後なら基本問題。グラフを描き慣れているなら、問題を読んだ時点で計算なんかしなくても答えが分かっているはずだ。 (問1) 自宅から順に郵便局、図書館を通って駅に着く。自宅から図書館まで640m、郵便局から駅まで380mある。自宅を出て郵便局と図書館の真ん中にある交番までやってきた。自宅から駅まで860mだとすると、何m歩いたか? (問2) 切片が3で、点(-2,-2)を通る直線の式を求めよ。 シェーマの位置づけ 数学が苦手な子にとっては、理解の後押し、何をすべきか分からないときの推進力になるのははっきりしている。 問題なのは少し出来る子だ。教科書や問題集の問題などは基本を理解しやすいように問題自体はそんなに難しくない。だから表やグラフを描くまでもなく頭の中で処理できる。分かっているけれど描く子と描かない子がいる。もし、ほとんどの子がお手上げのような難問が出題されれば、解ける可能性のある子はいろいろなシェーマを描き慣れている子である。 (4)その他(順次、実践編で具体的な例を出す) ・分からなくなったとき、フリーズしないで少しでも前に進める道具を持っているか。 ・子どもはときどき、とんでもない発想をする。それが感心するものであればよいのだが、たいていはでたらめか、的を外れている。 ・何かがおかしい。自分は今間違ったところにいると警告が出る. ・「まね」ができるか。 「学ぶ」とは「まねぶ」が由来という話も聞くが、ある一定の技量に達するまでは「まねる」のが早いと思う。それを自由自在に操れるようになれば「個人」の出番で、工夫や改良を加えながら「個人のスタイル」ができあがっていくのだと思う。 ・まねができるようになると次は「臨機応変」に作業ができるか。自分で工夫してやれる子は少ないから、納得できる子にはアドバイスするが、混乱するようなら時機を待つ。 (5)情報を発信できない子 間違うのを嫌って自分からは書かない、長い文章題だと読まずにスルーする、答えを待ってそれを覚える、それでは欠けているものは何かが分からない。一歩を踏み出せないなら、半歩ぐらい踏み出せるヒントを出して、脳内の様子を探っていく。 |
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106 | リアクターとしての脳(知識は繋がってこそパワーを持つ) 前節105までに書いたものと重複するところがあるかもしれないが、創造力や発想力に繋がる練習台として、もう少し書き加えることがあるのでこの節を作った。 文章題や応用問題は基本知識(基本問題を解く知識)の組み合わせで成り立っている。難しくなるほどその数が多くなる。基本を大切に、という理由のひとつは組み合わせる基本が欠けていると問題が解けないという事態が起こる。 ある応用問題に生徒がフリーズしている。基本知識を3つほど使うが、その子にしてはそれほど難しくない。普段ならもう少し込入った問題も解いている。フリーズした問題がそれまでのと違うのは、使う基本知識がかなり前に学んだ単元や小学校で学んだ知識を使って組み合わせる必要があった。一連の関連した基本知識を使う問題は解けるが、畑の違うところから基本知識を持ってくるのが苦手なのだ。 頭の中では自分が今までに得た知識の一つ一つが小さな引き出しの中に収まっているとしよう。問題を読むと同時に、必要な知識が入っている引き出しがいくつか開いてくれる。足りなければ頭の中を検索して必要な引き出しを見つける。そうやって開いた知識を組み合わせて問題を解く。問題を解くのはそんなイメージだ。 なぜそれが想像力や発想力の練習になるかといえば、新しいアイデアなどは既存の知識や技術の組み合わせだからだ。0%からの創造はありえない。ステレオを持ち運べるまで小さくしたウォークマン、iPhoneは世界を広げ、スマホと電子マネー、スマホの位置情報と出前、古くは馬車とエンジン(当然馬は失業)そういった組み合わせがイノベーションを引き起こしてきた。 産業だけではない。例えば小説もそうだ。(他人の小説をつなぎ合わせるわけではない、盗作になる) 毎年ノーベル文学賞候補として名が上がる村上春樹もこんなことを言っていた記憶がある。「ふっと引き出しが開いて、ここで書きたいことやシーンがでてくる。それは大事だから記憶するのではなく、街角の風景、人の営みなど何気ないことが頭のどこかに仕舞われている」どこにあったか本を探しているのだが見つからない。このような文脈だったはずだ、ということでお許し願いたい。ただし、これは小説を書く上での表面的なことで、氏はもっと心の奥深くで、いろいろな事象などが化学反応を起こして発酵させて小説を書いておられるに違いない。 特別に能力がある者だけに限らない。誰もが創造的なことをしているのだ。一緒にイメージを膨らませてほしい。頭の中にすごく大きな反応釜がある。釜というより宇宙だ。中心にあなたがいる。周りには無数の星がゆっくりと回っている。星は、あなたの知識、技能、経験、ありとあらゆるものが回っている。 あなたがスーパーに買い物に行ったとする。豚肉特価のコピーが目に入る。そのとき、あなたの周りの星が2,3光る。冷蔵庫に白菜の残りがある。タマネギもあったはずだ。それらが結びついて、八宝菜か酢豚にしようかということになる。 あなたが先に、豚肉の代わりにスマホの位置情報、白菜の代わりに出前が頭の中でいれば、八宝菜の代わりにウーバーを作ったのはあなたかもしれない。 アイデアというのは、畑違いのものが偶然出会って化学反応を起こす。場所は頭の中にある反応釜(リアクター)。ただし、使ったことがないと、埃をかぶったままになる。数学に限らず、知識などの要素を組み合わせる応用問題を解いてみることが、想像力や発想力の入り口になるのではと考えている。 数学の基本問題がきっちりできれば、入試では結構得点がとれる。しかし、それだけではトリヴィアな知識で終わってしまう。 立花隆が「脳を鍛える・東大講義」(新潮社) の中でこういうことを言っている。 「若いときは、わかりそうもないものにもあえて挑戦するという背伸び行為が必要だからです。わからないものに出会わないかぎり、人間の知性は鈍化します。そのチャレンジに応じて、…… 人間に知性は高められていきます……」 |
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